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山への思い

 「私は山が好きです。」
私の山への思いは、この一言に尽きると思います。

 私は吉野町に生まれました。小さい頃から山でよく遊びました。野いちご取り、秘密基地、ターザンごっこ、雪が積もるとソリ滑りなど。。。今の様にゲームが無かったので遊び場は”山”でした。中学生になるとラジオ少年でした。トランジスタラジオを自作して深夜ラジオを聞いて楽しんでいました。そして、高校は国立奈良工業高等専門学校の電気工学科に進学しました。時々は父に連れられて山へ行き、下刈りなどのアルバイトをしていました。

 そして、都会に就職。神戸の大手造船所で5年余り勤めました。現場は騒音と煙が立ち込める騒然とした環境の中で、図面片手に船の中を走り回っていました。
そんなある日祖父が亡くなり吉野に帰った時、やはり「私は吉野の山を守りたい」と思い、Uターンを決めました。タイミングよく結婚も決まり、吉野にUターンそして結婚。秀光27歳の決断でした。

 父に連れられて山へ、体力には多少自信がありましたが、想像以上に現場の作業は厳しかったです。特に夏の下刈り、冬の枝打などは、3日も続くと休みたくなるほどでした。
仕事の中心は立木の買取と伐採・搬出でした。覚えなければならない事も多く、特に山での取引に「石(こく)」を使うのには驚きました。いまだ江戸時代?? 
立木の伐採と搬出は、危険性が高く、毎日命がけの仕事なんだと思いました。

 吉野にUターンしてから早22年、最近少しは山の事も解ってきた様に思います。
「山仕事は100年残る仕事」特に枝打は100年後でもはっきりと木の中にに残っている。製材されて製品になれば見えない仕事では有るが。更に建築物が100年残れば計200年である。こんな仕事は他に無い、最新鋭のビルや橋等の建造物も100年程度である。山仕事とはたいへん息の長い仕事だと思います。

 バブル崩壊、阪神淡路大震災、台風19号、そして100年に1度の大不況。。。材木価格は、バブル期の1/5~1/10まで下落してしまいました。山元立木価格は限りなくゼロに近づいております。林業は大変厳しい時代を迎えました。
 
 そんな中、手入れの遅れている50年生前後の山林が目立つ様になって来ました。枝打もされているのになぜ間伐がされていないのでしょうか、理由はいくつか有ると思います。一つには境界が曖昧又は山が不明と言う事があります。二つ目は費用の問題、三つ目は意欲の問題です。これだけ材木の値段が下落すれば当然の事です。
しかし、ここで諦めてしまっては、今まで先人がしてきた事が水の泡になります。もう少し頑張れば山は1人前になります。
ここ数年は、環境問題などで間伐補助金が潤沢に利用できる状況です。補助金を上手く活用して手入れをしましょう。

今、我々が伐採し利用している立木は、全て先人達の血と汗の結晶です。ですから我々も後世に良い山を残さなければなりません。たとえ今が大変厳しい時代であっても。
私は山林のあらゆる問題に取り組み、皆様の山林が資産として残せるような山作りをお手伝い出来る事を幸せに思っております。

今西 秀光  平成21年6月1日

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